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日々のくらしのなかで、感じたことをゆるーく書き留めています。

できごとEVENT 2017〜2019

 リレーバトン

 8月の終わりに私の勤める大学を会場にして、ある学会の学術講演会(年次大会)が開催されました。これには多くの関係者が力を合わせてくれました。お陰様で大変盛況な会となりました。全ての事後処理が済んだ11月の終わりに、苦労をともにした仲間たちと次の担当者も交えて、ささやかな慰労会兼引き継ぎ会をやりました。前日までの雨が嘘のように上がり、雲一つない晴天となりました。プレッシャーに押しつぶされそうになりつつも、やりきった晴れやかな気持ちを象徴しているようでした。会は江戸の情緒をいまに残す神田須田町「いせ源」、300年続くあんこう鍋屋で行われました。終始とてもCozyな雰囲気で大いに盛り上がりました。
 この学術講演会は、毎年担当者と開催地を変えて行われていきます。私たちは大変貴重な経験をさせて貰ったことに感謝し、次の担当者への惜しみない激励の気持ちを込めて何かしたいと思いました。そこで”黄金のリレーバトン”を製作し、会の最後に次の担当者に手渡しました。このバトンがいまの気持ちを代々伝えていってくれることを祈っています。




 駿河台界隈

 昔から駿河台界隈は学生街で知られています。最近は巨大なオフィスビル群も建ち並び、いっそうの賑わいを見せています。ここ数年、学会の仕事で足繁く通う街の一つとなっています。
 先日は生憎の雨。御茶ノ水駅から会場まで急いでいると、通りかかったコンビニの前で何やら物音がします。ビニール傘を上げて覗いてみると、学生らしき女の子が両腕を突っ張って男の子の胸を力一杯押しています。長い髪を揺らしながら踏ん張っている女の子の足下でスニーカーがアスファルトと擦れ、音がしていたのです。女の子はどうやら泣いているようで、人目など気にする余裕はなさそうでした。その光景に強烈なパワーを感じて、青春の真っ只中の本人達の苦悩をよそに、思いっきり生きているって感じがして”若いっていいね”としみじみと感じてしまったのでした。この歳になると、周辺の大切な人たちが徐々に逝き、何やら生きることに少し感傷的になっているのかも知れません。今日も駿河台界隈は多くの喜びと苦悩を抱えた青春達のざわめきで溢れています。




 無邪気にあそぶ子供達

  K市を訪れたときのこと。休校日でもないのに昼間から小学生くらいの子供たちが訪問した施設の中庭で無邪気に走り回っていました。子供のしゃべっている言葉は外国語でさっぱりわかりません。何だかその子供達を見ていて少し不安になりましたので、後からインターネットで調べてみました。
 まずK市について調べてみると、そこで暮らす外国人労働者数は全国3位であることがわかりました。次に外国人の子供に関するニュースを調べてみると、日本全体で2万人近くの未就学児がいることがわかりました。不安に思っていたことが日本で残念ながら起きていました。未就学の理由は1)日本語がわからない親にとって手続きが面倒、2)教育にお金がかかる、3)いじめられて不登校、4)小さな兄弟の面倒をみなければならない家庭環境、5)そもそも外国籍の子供には教育の義務はない、などだそうです。
 いま日本は労働力不足解消のため、人件費が安いというだけで外国人を安易に受け入れているように思います。一方で、移民は受け入れていませんから一定期間働いたら帰国させるのです。一時でも人が暮らし働くと言うことは、家族を始め複雑な人の問題を孕んでいます。物質論的な合理主義を振りかざす経済理論は随分と身勝手なものに思えてきます。
 K市で見かけた、中庭で遊ぶ子供達が未就学児であるかはわかりません。しかし、日本国内で外国人の子供達が未就学のまま放置されている現状があるなんてショックです。




 原爆資料館

 長崎を訪れたついでに研究者仲間と原爆資料館を訪れました。この時季、資料館は多くの修学旅行生で賑わっていました。原爆とは何か、どんな被害をもたらしたのか、核廃絶に向けた取り組みはどうなっているのか、館内で一生懸命メモをとる生徒達を見かけました。
 私は今回で2度目の訪問となります。大昔、最初に見学した時は「こんな酷いことを、よくもしてくれたな」という怒りしかありませんでした。今回は何だか物足りなさを感じました。どうして原爆投下はなされなければならなかったのか?どうしてそれが日本だったのか?どうして・・・?、資料館はさまざまな”どうして”にどう答えるのか難しい問題なのかも知れません。原爆という貴重な史実の本質は何か、いま最も伝えなければならないことは何か、資料館の関係者は日々熟考されていらっしゃると思います。これからも考え続けて下さることを期待しています。




 河川の氾濫は天災なの?

 このたびの猛烈な台風では、上流、中流の領域で多くの洪水、氾濫が発生しました。多くの尊い命が奪われました。家を失って途方に暮れる人々が出ました。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。報道は一斉に台風の爪痕を伝えています。気象予報士は如何に猛烈な台風であったかを伝え、一様に自然の驚異を報道していました。惨状を目の前にして、原因は猛烈な台風であり、天災だから仕方ないという空気が漂っているように思います。勿論、猛烈な台風が来なければこのような惨事にはならなかったでしょう。しかし、川幅が狭くなっているところがあれば当然その手前で水は溢れるはず。もし、何かが天秤にかけられ、その川幅が人為的に決められたのだとすれば恐ろしい話です。私の妄想であることを切に祈ります。このたびの猛烈な台風が、”私だけの責任?”と一般市民の私たちに問いかけているように思いました。




 かめ吉

 ベランダで盲目の亀を飼っていました。耳は達者で私が近づくと水面から顔を出し、餌をまくと、がむしゃらに口をぱくぱくする様子が可愛くもあり哀れでもありました。性別不詳の頃から「かめ吉」と家人から呼ばれ、レディーとわかったあとも「かめ吉」は愛称となり13年も呼ばれ続け、地味ながらも家族の一員でした。
 盲目になったのは、一家が神社近くの閑静なマンションに引っ越した10年前。日の当たるベランダでかめ吉にも日光浴をさせようと水槽の蓋を開けておいたのが災いしたのでした。神社のカラスに襲われて、瀕死の重傷を負ってしまったのです。盲目となりながらも、奇跡的になんとか一命を取り留めました。そのとき、なぜか家人に降りかかる災いをかめ吉が受け止めてくれたような気がしました。
 今年は身内に不幸が続き、家人は心に大きな痛手を負いました。そんな中、かめ吉は家人の留守中にそっと逝きました。今回も家人の身代わりになってくれたような気がしています。ありがとう。合掌。




 ARIGATOU

 「ありがとう」の語源は、「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」から生まれた仏教用語だそうです。 ある日、お釈迦様が弟子に「お前は人間として生まれたことをどう思うか」と問います。弟子が「喜ばしいことです」と答えると、「では、どれほどか」とお釈迦様はさらに問います。弟子がどう答えてよいか困っていると、お釈迦様はたとえ話を始めます。「永遠の命を持つ盲目の亀がいて、100年に一度 、海面に顔を出す。そのとき、広い海には一本の丸太棒が浮いていて、その浮木の真ん中には小さな穴がある。その穴に亀が顔をつっこむことはあるか」弟子は「ないと言ってもよいくらい難しいことです」と答えます。お釈迦様は「私たちが人間として生まれたことは、盲目の亀が浮木の穴に頭を入れ ることよりも難しいこと、有り難いことなのだ」とおっしゃったそうです。仏教の世界では、人は本来欲張りなもので、自分よりも優先して他人に親切をするなんて滅多にないことだというのです。すなわち、親切は「有り難いこと」であり、これが「ありがとう」となるのだそうです。由来がわかると、その言葉の重量感が増してきます。これからも大事にしたい言葉です。




 秋の夜長のMusic journey 2

 聞き覚えのあるメロディーをYou tubeで拾ってあらためて聴いてみると、またもや訳が分からないものに巡り会いました。異文化の人間だからかと思いきや、今度は時代が違うことで理解できないのだということに気づきます。例えば、「雨を見たかい」(Have You Ever Seen the Rain?)は、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が1970年に発表した楽曲です。その後、イギリス人のロッドスチュアートなどがカバーしていて、軽快なメロディーは日本車の宣伝にも使用されたほどです。洋楽をあまり知らない私でも聞き覚えのあるメロディーとなっているのはそのためです。しかし、「雨を見たかい」となぞめいた詞が続きます。この曲がリリースされた時はベトナム戦争真っ盛り。戦場では焼夷弾の進化した強力な兵器「ナパーム弾」が使われていました。これは上空からきらきらと降ってくることから兵士の間では「雨」と呼ばれていたようです。作者はそれを意図したわけではないと否定しましたが、当時のアメリカでこの曲は発禁となっています。50年という年月が経ち、曲の細かなことは淘汰され、いまは楽曲だけが一人歩きをしているのです。聞き慣れた曲の肩をポンポンと軽く叩いてみれば、知らなかった身の上話をしてくれるかも知れません。秋の夜長、眠れぬ時にはMusic journeyしてみませんか。

Rod Stewart - Have You Ever Seen The Rain
https://www.youtube.com/watch?v=2oX2FSv4Rys

Someone told me long ago
There's a calm before the storm
I know it's been coming for some time
When it's over so they say
It'll rain on a sunny day
I know shinning down like water
I want to know Have you ever seen the rain
I want to know Have you ever seen the rain
Coming down on a sunny day
Yesterday and days before
Sun is cold and rain is hard
I know, been that way for all my time
'Til forever, on it goes
Through the circle of fast and slow
I know it can't stop, I wonder
I want to know Have you ever seen the rain
I want to know Have you ever seen the rain
Coming down on a sunny day
I want to know Have you ever seen the rain
I want to know Have you ever seen the rain
Coming down on a sunny day




 秋の夜長のMusic journey 1

 You Tubeは、時代を超え国境を越えて自在に音楽を聴くことができます。一人の外国の歌手をデビューから亡くなるまで追いかけて聞き比べることができます。時々、才能は一時神様から授かった宝物だと感じます。一方、ある音楽が世に出てから今までに得た評価を比べると、時代毎に評価が変わっていくことがわかります。例えばロックンロールはその昔、不良の音楽と言われた時代がありました。それでも若者に熱狂的に支持され、その後、多くの歌手がカバーし、今ではすっかり名曲になったものも少なくありません。「愛さずにはいられない」などは歌詞をあらためて見ると、最初に出てくるフレーズWise men say only fools rush inは聖書の一節で、本来は where angels fear to treadと続き、「君子危うきに近寄らず」といったニュアンスになるのです。またwould it be a sinとつながっていてキリスト教信者なら背徳的な恋の歌であることがわかるのです。簡単なフレーズでも異文化、異宗教の人間にはうまく理解できない歌詞が多いように思います。音楽家「王様」の直訳ロックが虚しさとともに思い出されます。秋の夜長、眠れぬ時にはMusic journeyしてみませんか。


"Can't Help Falling In Love" by Elvis Presley | Alyssa Baker Cover
https://www.youtube.com/watch?v=jbLW2FtCliA

Wise men say only fools rush in
but I can't help falling in love with you
Shall I stay
would it be a sin
If I can't help falling in love with you
Like a river flows surely to the sea
Darling so it goes
some things are meant to be
take my hand, take my whole life, too
for I can't help falling in love with you
Wise men say only fools rush in
but I can't help falling in love with you
Shall I stay
would it be a sin
If I can't help falling in love with you
Like a river flows surely to the sea
Darling so it goes
some things are meant to be
take my hand, take my whole life, too
for I can't help falling in love with you
I can't help falling in love with you




 悪戯なカミ様

 時にカミ様は人に試練を与えておいて、知らん振りをする。賢い人はその試練から素早く身をかわし、やれやれと思う。一方、愚かな人は身をかわす術を知らず困り果てる。しかし、もっと愚かな人は嬉々としてその試練を楽しんでいる。案外、最も愚かな人ほど気づいたときには試練を乗り越えている。試練は人と化学反応し、それぞれ全く違ったモノに変化していく。ときどきその反応物を手に神様に問いかけてみる。「カミ様、これが私に与えようとしたモノでしょうか?」見えるはずもないのに悪戯っぽく微笑むカミ様を感じることがあるのです。









 夏祭りで不意打ちを食らう

 毎年二日にわたって、私の街では夕方から夏祭りが開かれます。近所の道を1km通行止めにして、裸電球のレトロな明かりの下で屋台が立ち並ぶのです。人形焼きの屋台では型に液体の具を流し込むおじさんの鮮やかな手さばきに「凄い!」と思わず見入ってしまいます。隣では鉄板に山盛り作った焼きそばを前に一息ついているテキ屋のおばさん。その前を浴衣姿の女性達が楽しげに通り過ぎたかと思うと、子供を肩車した親子やら町内会の世話役、威勢の良い若衆が次々と津波のように押し寄せてきます。そのうち、笛の音が聞こえてくると御輿の登場です。押すな押すなの見物人。その人達に怪我があっては大変と、お巡りさんも大忙し。勢い余った若衆が御輿に上がって小躍りすると、お巡りさんの仕事が一つ増えることになります。いつも見慣れた夏祭りの風景です。
 個人的に今年はこれまでになく気忙しい夏でした。こんな時こそ祭りです。焼きそばと大阪焼き、それに生ビールを買うことに決めていざ人の波へ。目的の屋台に辿り着く前にピッピとテンポの良い笛の音がして、すぐ近くまで御輿が迫ってきました。雑踏の中から若衆の高揚した姿が目に飛び込んできた瞬間、思わず目頭が熱くなってしまいました。何だこの不思議な感情は?戸惑いながらも歪んでいく人波に揉まれていると10年前にも同じ感情に戸惑ったことを思い出しました。それは娘が中学生だったときのこと、合唱コンクールで歌っている娘を見ていたら急に涙が止まらなくなってしまったのでした。「たまたま疲れていた」では説明できない何かがあるような気がしましたが、未だに説明がつきません。それにしても私の胃袋に感情はないのか、目を潤ませながら焼きそばと大阪焼き、それに生ビールをしっかり買っていく様は、思い出しても我ながら恥ずかしい限りです。




 絆

 茜色に染まる空に
 君の輝く横顔を見つけて
 思わず手を振る
 包み込むような優しい一時
 二人だけのお別れの時


詩:MISIA
https://www.uta-net.com/movie/85467/

逢いたくていま

初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて
あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今はそばで 私を見守っているの?教えて・・・

今 逢いたい あなたに
伝えたいことが たくさんある
ねえ 逢いたい 逢いたい
気づけば面影 探して 悲しくて
どこにいるの? 抱きしめてよ
私は ここにいるよ ずっと

もう二度と逢えないことを 知っていたなら
繋いだ手を いつまでも 離さずにいた
「ここにいて」と そう素直に 泣いていたなら
今も あなたは 変わらぬまま 私の隣で 笑っているかな

今 逢いたい あなたに
聞いて欲しいこと いっぱいある
ねえ 逢いたい 逢いたい
涙があふれて 時は いたずらに過ぎて
ねえ 逢いたい 抱きしめてよ
あなたを 想っている ずっと

運命が変えられなくても 伝えたいことがある
「戻りたい・・・」あの日 あの時に 
叶うのなら 何もいらない

今 逢いたい あなたに
知って欲しいこと いっぱいある
ねえ 逢いたい 逢いたい
どうしようもなくて 全て夢と願った
この心は まだ泣いてる
あなたを 想っている ずっと・・・





 白木蘭の花

 北海道の5月初旬、長い冬がようやく終わり、春を待ちわびた梅が咲き、桜も追い抜かんばかりの勢いで咲き誇ります。北海道のお花見は梅と桜を同時に楽しむことができます。
 義父が手塩にかけた庭にも春がやってきました。青空に向かって咲く白木蘭の花がひときわ美しく、思わず写真に収めました。白木蘭の花言葉は「穢(けが)れのない心」。一途な思いは花の匂いと共に春風に乗って、大切な人のもとにきっと届くはず。


詩:山田ひろし
https://www.uta-net.com/song/4532/

木蘭の涙

逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる

いとしさの花籠 抱えては微笑んだ
あたなを見つめてた 遠い春の日々

やさしさを紡いで
織り上げた 恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって

やがて時はゆき過ぎ
幾度目かの春の日
あなたは眠るように
空へと旅立った

いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね
わたしを 置き去りに

木蘭のつぼみが
開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あたなが 来たがってた
この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る

逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる

いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね
わたしを 置き去りに・・・





 学ぶ重み 教える重み

 「科学技術史」の講義は工学部の教員がオムニバス形式で行います。今年、科学技術史を3週(3回)ですが担当することになりました。面白そうなので軽い気持ちで承諾したのですが、準備を始めてみると、時代のどこをどう切り出して何を伝えたらよいか、実はそれほど簡単ではないことに気づかされました。
 思えば小学生から高校生まで歴史の授業といえば年代と出来事を暗記したものです。時代毎に、または文化や政治毎にセパレートに表記された教科書で何の関係性も分からず辛い作業でした。技術史と言えば人類誕生と同時に始まり何万年もの歴史があります。ベンジャミン・フランクリンは人間を「tool making animal」と定義しているくらいです。とんでもないものを引き受けてしまったと後悔しましたが後の祭りです。講義準備のため、科学技術史をはじめ、科学技術一般、社会史、開発史、偉人伝まで書籍を片っ端からかき集めて読みあさりました。
 読めば読むほど、混迷は深まるばかりでした。ある日、酒の席で知り合いの教授に「科学技術史は何を教えたらよいのでしょうか」と尋ねてみました。すると今まで冗談ばかり言って笑わせてくれていた教授が一瞬真剣な眼差しになり「あなたがどんな学生を育てたいか、でしょうね。」と言われたのでした。この一言はグサリと心に刺さりました。
 学生には、やはり現代社会の成り立ちに科学技術がどう関与してきたのか、政治や経済との関わりにも触れながら理解して貰うことが大事だと思いました。それからもう一つは、歴史上重要な技術開発事例を題材にして社会に翻弄されながらも努力を惜しまなかった科学者や技術者、愚鈍でも誠実に開発・研究と向き合い大きな発見をし、革新的な成果を残した科学者や技術者を身近な人間として意識できるようになって貰いたいと思いました。これらを通して、いま自分が生きている社会で自分も何か革新的な技術開発ができるかも知れないとワクワクし、未来を想像し、自ら創造して行こうとする若者が育ったらよいなぁと思いました。講義の始まる一週間前には、何とか準備の目処も立ってきました。
 科学技術史の講義は週末の最終時限です。どれだけの学生が履修するか分かりません。小生が学生なら、この時限の講義はよほど単位に困っていない限り履修しないでしょう。しかも、数学や物理学などの専門科目ではなく、工学部の学生には一見無縁に思えるような歴史の講義です。講義準備を一生懸命しても報われないことは容易に想像できましたが、折角なので楽しもうと決めました。
 いよいよ講義の日。少し早めに教室に行くと多くの学生がいたので少しホッとしました。その中に一人だけ聴講生と思われる人を見かけたので話しかけてみました。その方は理学部、工学部、教養学部でさまざまな講義を受けているとのことでした。また、いまは仕事復帰を医者に止められているそうで、仕事ができず健康に不安を抱えて下向きに過ごすのだったら、大学で新しいことを学びたいと思ったそうです。若い頃、大学で学べる環境になく、ずっと大学で勉強したいと思っていたそうです。人生の厳しい局面にあって、なお前向きに学びたいとおっしゃったのでした。これまでの準備も無駄ではなかったように思えてきました。さあ、3週間頑張りますよ〜!




 人を支援する機械

 受験シーズンが来て思うことがあります。怪我などで手が使えない人は、健常者の1.5倍の時間をかけて他人に代筆して貰います。しかし、限られた時間内で筆算などはどのように代筆者に頼めばよいのでしょう。頼めないなら暗算するしかありませんが一般人では3桁の四則演算でも厳しいと思います。これによって解答を諦めざるを得ない状況があったとしたらどうでしょう。いままで少数の人たちの困難な課題にどれだけ痛みを感じて向き合ってきたのでしょうか。自分自身を省みて些か不安になります。
 筆算などして考えるために手を動かす場合、重量はかかりませんのでバーチャルリアリティーの世界で十分実現可能ではないかと思います。手を動かすための指令は脳から出ますから障害部手前でその指令を捉え、仮想空間で手を自由に動かし、筆記し解答もデジタルデータとして保管できれば入試も少しは楽になるのではないかと思います。手ばかりではありません。五感補完技術などは障害を持つ人の体の一部になって強力な道具になると期待されます。私たちも歳を取ると徐々に出来ることが限られてきます。場合によっては日にちや場所の感覚を喪失してしまうかも知れません。人を支える機械の本質的な開発のあり方を社会全体で議論する必要があります。専門家からは「とっくに考えて開発しています」とお叱りを受けるかも知れません。小生の不明の致すところご容赦下さい。
 一方、五感補完技術は健常者にも便利な道具となることは言うまでもありません。例えば満員電車の中でも声を出さずに通話したり、うるさい環境でも美しい音楽だけを聴くことができたり、真っ暗な中を明るく見通せるようになるかも知れません。インターネットショッピングでも商品の着心地、風合い、食品の味や香りすら感じることができるようになるかも知れません 。今後、人を支える機械には大いに期待したいと思います。ただし、技術が進みすぎて妻の第六感まで補完することのないようにくれぐれもお願いします。




 対極にあるものは?

 ひょんなことから訪れた造船所でのこと。現場では長い鉄板の溶接が行われていました。作業中の鉄板の端を近くで見ていると、鉄がどんどん伸びていくのがはっきりわかりました。当たり前のことなのですが、”鉄ってこんなに膨張するんだ!”と実感したものです。造船は野外での作業なので船に注がれる陽は時々刻々変化していきます。それに連れて船体の歪みも変化していきます。作業者はこの変化を頭に入れて手順を決め、作業を進めていくのだそうです。また、船体は溶接された鉄のBOXをいくつも組み合わせて造る工法もあるそうです。クレーンで作業している様子を見せて貰いました。それぞれの鉄のBOXは溶接で様々に歪んでいます。これを一つ一つ見極めて、凸凹を組み合わせ、最後はぴたりと寸法精度の出た船体に仕上げるのだそうです。この組み合わせは相当難しく、高度な職人技が必要とのことでした。大きな船なので大雑把なものづくりなのかと思いきや、細心の注意を払って職人技まで駆使した高精度なものづくりであったことに驚きました。
 普段は微小な世界を研究しているので、対象物との関係は「自分≫対象物」です。それ故、想像力を働かせて「自分≪対象物」に逆転させて物を見つめています。ところが造船所では、もともと「対象物(船)≫自分」なので、最初から想像の世界にいる感覚です。まるで1966年にアメリカ合衆国で制作されたSF映画「ミクロの決死圏( Fantastic Voyage)」の主人公になった気分で物を見つめていました。微小な世界と巨大な世界、一見、無関係に思える対極の世界。しかし、大いに関係がありそうです。もし、一つの世界に行き詰まりを感じた人がいたら、是非、その対極にある世界に少しだけ足を踏み入れてみては如何でしょう。何か大切なことに気づくかも知れません。




 創造は想像から

 昔、部屋を占拠していた大型コンピュータは、いまやポケットに入ってしまうほど小さくなりました。これには小さなものを造る加工技術の進化が大きく貢献しています。この加工技術に必要なセンスは目に見えない小さな世界を想像することかなあと思います。想像できないことは創造できないと大脳が思い込んでしまいます。
 昨年亡くなったイギリス人のロジャー・バニスターさんをご存じでしょうか。彼は医学生だった頃、1マイル(1610m)レースで4分の壁を初めて突破した伝説の選手です。4分?と思われるかも知れません。当時は4分の壁を人間は破れないとされ、挑戦したら死んでしまうとまで言われたそうです。しかし、彼は勉強の合間の30分間だけ毎日練習を続けていました。そのため科学的なトレーニング方法を生み出します。短距離の走り込みを繰り返し行うトレーニング法なのですが、毎回、次はもう少しだけ速く走ろうと心に決めてトレーニングを重ねたそうです。そうすればいつか4分の壁は突破できると信じていたそうです。さらに精神医学の知識を活かし、感情を込めて自分が真っ先に4分の壁を突破したときの喜びを毎日イメージトレーニングしたそうです。そうして臨んだ1954年のレースで彼は3分59秒4を出し、見事4分の壁を突破したのでした。その1ヶ月半後のレースではオーストラリア人のライバルが3分58秒を出し、1年間でなんと20名を超える選手達が4分の壁を突破したそうです。ちなみに、それまでの世界記録は4分10秒3。2秒縮めるのに37年間もかかったそうです。走るのも造るのも人です。創造は想像することから始まると思うのですが如何でしょう。




 4K8Kは四苦八苦?

 4K8K衛星放送が昨年12月に始まりました。鮮明さがこれまでの4倍もしくは16倍だそうです。将来が楽しみな技術です。ただ今後の普及についてマーケッティングの専門家からは辛口の評価もあるようです。もっともシーズ先行型の新技術は最初から世間に理解されるとは限りません。ウオークマンだって開発当初は”誰が音楽を聴きながら街を歩きたいと思うのか?”と言われたそうです。しかし、音楽を聴きながら街を歩いてみたら”見慣れた街の景色がドラマチックに思えた”と驚かれ、”これは面白い製品だ”と評価が一変したそうです。4K8Kだって新しい驚きがあるはずです。
 将来どんな楽しみ方ができるか少し想像してみましょう。専用ソフトの開発が必要ですが、演劇などの舞台は一括して撮影するだけ。あとは視聴者が画面にタッチして自分の好きなシーンを作ったり、ファンの俳優さんだけを拡大して観ていること(少し怖い気もしますが・・)だってできるかも知れません。さらに舞台上に小さな全方位カメラをいくつもセットすれば、視聴者が自分でシーンを切り替えて、臨場感溢れる没入型観賞だって楽しめるはずです。これはオリンピック競技の観戦でも威力を発揮してくれます。まるで選手と一緒に競技しているかのような臨場感溢れる感動的な観戦ができるかも知れません。また、医療分野など専門分野での活用はいっそう大事になります。精密な外科手術は微細領域を高い解像度で映し出す必要があります。高い解像度にはもう一つ作用があって、脳内で立体視感覚を発現させるという専門家もいます。 難しい手術でも世界中の人が遠隔手術を受けられ、地域格差のない福祉社会を実感する日が来るかも知れません。今後に期待しています。





 BONSAIの世界

 ”んー、盆栽ですかぁ” そんな声が聞こえてきそうです。ところが、いまやBONSAIは世界で大注目の芸術なのです。日本人には”ご隠居さんの道楽”という先入観が強すぎて、”私たちとは無縁のもの”という意識があるように思います。そこで「大宮盆栽美術館」に行ってみることにしました。
 戦後の娯楽が少ない時代に、日本で盆栽は大ブームとなりました。今のさいたま市盆栽村には歴代総理大臣も訪れるほど隆盛を極め、盆栽は飛ぶように売れたそうです。復興のさなか、会社では盆栽クラブが大流行し若者は夢中になったようです。しかし、戦後の復興は目覚ましく、娯楽の種類も急増。時間と手間のかかる盆栽のブームは一気に下火となり、次世代に引き継がれませんでした。日本人の多くがもつ”ご隠居さんの道楽”というイメージは、そのような時代の流れから生まれたのでした。私たちの研究の世界でも、次世代に引き継がれない研究は、”ご隠居さんの道楽”と呼ばれてしまうかも知れません!?
 盆栽の小さな樹木は、古いもので何百年も経過しており、箱庭に閉じ込められて痛々しくもあります。高価な盆栽は数億円の値がつくそうです。美術館には歴史上の人物が愛でた立派な盆栽も数多くありました。もう、とっくに所有者はいないのに盆栽は今なお勢いを失わずにありました。人間は盆栽を所有物と思っていたかも知れませんが、じつは盆栽に面倒を見させられていた下僕だったのかも知れません。
 盆栽の観賞の仕方ですが、つい小さいので私たちは見下ろしてしまいます。しかし、盆栽は見上げるように観賞するのだと教わりました。試しに美術館の中庭に置かれた盆栽の前で片膝付いて下から見上げてみました。本当にびっくりでした!!盆栽の魅力は写真では決してわかりません。理屈でもありません。是非見上げる体験をしてみて下さい。全く別世界が広がっているのです。http://www.bonsai-art-museum.jp/ja/




 埋もれた光景

 今はもう昔の話。新幹線の通る東海地方のある街で5年半暮らしたことがありました。結婚してすぐに家内とともに移り住み、家族にも恵まれました。家族に春夏秋冬があるとすれば、まさしく桜咲く春爛漫の季節を過ごした街でした。交通費を何とか工面しながらも東京にはよく出張しました。その帰りには妻が幼い娘達を連れて駅まで迎えに来てくれました。ホームに降り立った私を見つけて、幼い娘達は輝くような笑顔で思いっきり手を振ってくれました。よちよち歩きの下の娘を、腰をかがめて支える妻も楽しそうでした。普段、思い出すことのない何気ない光景です。
 先日、この駅を新幹線で通過したとき、一瞬あの頃の妻と娘達がいるような気がしました。通過してもなお、まるで家族をこの街に置き去りにしてきたかのような、後ろ髪引かれる思いになったのでした。超特急のように流れ去る日々の暮らしの中で、埋もれてしまった大切な光景・・・。

The Scientist




 タイムマシーン

 いまはデジタルの時代。手のひらサイズのスマホに音楽をダウンロードして、いつでもどこでも聴くことができます。先日、旅先で少し時間があったのでS教授と寄り道をして蓄音器の博物館を見学しました。蓄音器は木工を駆使した美しい木箱に納められ、その前面には厚手の布が張られていました。ゼンマイを巻いてレコード針を落とすと、少し雑音がして僅かに甲高い乾いた音が布の奥から飛び出てきました。まるで眠りから覚めた妖精達が慌てて楽器を奏でているようでもあり、会場をどこかノスタルジックな暖かな雰囲気にしてくれました。子供の頃、私の家にあった小さなステレオレコードプレイヤーも木調でスピーカの前面には布が張られていました。新しいレコードが手に入るとステレオの前で家族や友達とワクワクしながら聴いたものでした。微かに懐かしい情景が蘇ってきて、蓄音器は聴く者を幸せな気持ちにしてくれました。
 蓄音器の歴史は1877年にトーマス・エジソンが蝋管式の蓄音機を世に出したことから始まります。いつでもお気に入りの音楽を聴きたいと思うのは古今東西変わりません。それを実現した蓄音器は、大変価値あるものだったようで、高価なものは二階家が買えるほどの値段だったそうです。オーディオマニアではない私には「いくらなんでも、二階家が買えるほどの大金を出してまで、蓄音器を買いたいかなあ」と、正直思えましたので、しばし当日の人の気持ちに寄り添って考えてみることにしました。例えば・・・、目に見えるものと言えば絵画や写真。これらは一瞬を切り取り、一瞬を永遠とすることができた。一方、目に見えない「音」はどうだったろうか?そもそも音は静止画とは異なり、時間軸を伴うもの。蓄音器が世に出るまでは一音たりとも切り取って永遠にすることなんてできなかったろう。ところが蓄音器は”過去の連続した時間”を忠実に切り取り、永遠とすることができた!?。ちなみに、シネマの誕生は蓄音器より14年も後のことであるから、蓄音器は人類が初めて手にした”タイムマシーン”だったのではないか!!そう思うと昔の人の高揚する気持ちが少しわかるような気がしました。それにしてもタイムマシーンを事業化したエジソンってやっぱり偉い人だったんですね。えっ?そんなの常識?






 ほろ酔い口伝

 宴会の席でほろ酔い気分の老教授曰く「一引、二運、三才、四学。人生、成功の秘訣は人からの引きが一番、次に運。才能や学はその次です。結局、可愛がられることです。」しばらくすると、また老教授曰く「物事を見るときには鳥の目、虫の目、魚の目を持つことです。物事は全体を見て、複眼的に見て、流れを見ることが大事ということです。」ほろ酔い口伝は酔いが覚めればすっかり忘れてしまい、どうも口伝になりません。忘れぬうちに書き留めておきましょう。






 「むつめ祭」 ちょっと変な名前じゃないですか

 11月23日〜25日は埼玉大学の大学祭「むつめ祭」でした。普段静かなキャンパスが老若男女を問わず多くの人々で賑わっていました。もともと埼玉大学は昭和24年に埼玉師範と埼玉青年師範、そして旧制浦和高等学校が合併してできた新制大学です。来年で創立70周年を迎えます。学章には埼玉師範学校の校章で使われた勾玉(まがたま)と旧制浦和高等学校の銀杏(いちょう)があしらわれています(図)。
 ところで、なぜ「むつめ祭」というのでしょうか。じつはこの学章にヒントがあります。よく見て下さい。勾玉の穴が六つあります。穴を目に見立てて「むつめ」だそうです。何故、わざわざそこに注目したのでしょうか。勾玉は埼玉県の地名の基となったサキタマ(埼玉)にある古墳群から多く出土されました。瑪瑙や様々な美しい素材から作られたようです。古代の人々はこれを胸に飾り、幸を願う心的シンボルとして大切にしたようです。また、不思議な力が宿るとされ、魔除けや厄除けといった呪的な意味もあるようです。神話ではスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後に「勾玉」をアマテラスオオミカミに献上したとされ、これが三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」になったと伝えられています。
 「むつめ」には「仲むつまじい」という意味も併せ持たせているそうです。勾玉のパワーで大学祭に集まった人々を守り、益々の幸福を願う気持ちが「むつめ祭」には込められているのです。来年もパワースポット埼玉大学に是非お越し下さい。





 いい旅の予感

 不慣れな地を旅するときは、ネットのご当地情報が頼りです。しかし、ネット検索しても出て来なかった良宿があったり、地元の人なら滅多に使わないルートを行こうとしてしまうことがあります。普段からスマホを駆使して暮らす人々と自分を比べたら、歴然とした情報格差があるのです。
 今回、ネットで検索しても目的地までの公共交通機関が見あたりませんでした。不安もあり、時間的にはかなり余裕を持って空港に降り立ちました。やはり地元の方に旨い行き方をアドバイスして貰うのが一番ということで、早速インフォメーションカウンターへ。目的地を告げると、いきなり地名を読み間違えていたことが判明。かなりの情報弱者だと思われたのか、おもむろに地図を広げ、「無料シャトルでここから○×△へ行って・・・」と丁寧にボールペンで書き込みながら行き方を教えてくれました。
 ”地名を読み間違えていたとはねえ・・・(-.-;” 内心恥じ入りながら教わった停留所でシャトルを待っていると、先ほどの方が息を切らせて走って来て、ルートに一部間違えのあったことを知らせてくれました。私がカウンターを去った後も気にしてくれていて、シャトルの出発に間に合うようにわざわざ来てくれたのでした。さわやかな秋晴れにも増して、このささやかなできごとが、私にこの旅の成功を予感させてくれたのでした。





 ここはどこ?

 京浜工業地帯ではありません。ここは宮沢賢治も愛した岩手県にある小岩井農場です。この農場は1891(明治24)年に小野義眞(日本鉄道副社長)、岩崎彌之助(三菱社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名で共同経営され、彼らの頭文字をとって「小岩井」と命名されました。鉄道事業のために田畑を潰してしまったことに後ろめたさを感じていた井上が、この大地を一大農業生産地にしようと夢見たことから歴史は始まります。ただ、岩手山麓は不毛の土地として知られ、土壌改良には長い年月を費やしたようです。また戦後はGHQによって土地の一部が没収されたり、稼ぎ頭であった育馬(サラブレッド生産)を廃止させられるなど、時代に翻弄されながらも痛手をバネにして経営努力を重ねてきました。いまでは牛2000頭、羊200頭、鶏6万羽もの家畜を飼育し、植林事業や観光事業も盛んだそうです。この農場の歴史からは「情熱のなせる技」「ピンチをチャンスに変える知恵」といったものを感じます。
 さて、上の写真が気になるところですが、場内にある最新のバイオマス発電施設です。糞尿は環境負荷を与える産業廃棄物で、処理には費用が嵩み大きな問題になっています。バイオマス発電はその糞尿を発酵させて発生するメタンガスで発電しています。発電量は400世帯分でその半分は農場で使用し、あとの半分は売電しているそうです。環境保全・持続型・循環型社会が叫ばれる中、またもやピンチをチャンスに変えて旨く経営しているのです。
 小岩井農場は、不毛の原野を百年を越す努力によって生産性の高い緑の大地に変え、環境に配慮した生産で私たちに美味しい酪農製品を届けてくれているのです。





 お金の行方は?

 お金の話は技術屋の私にとって不慣れでわからないことだらけです。解を求めようとしても方程式が絶対的に不足しているように思えてなりません。間違った解釈だ、不勉強だとお叱りを受けるかも知れません。例えば、取引を活性化するためにお金を大量に発行すると聞くと、価値の代用としてのお金は一体どんな意味を持つことになるのだろうかと不安になります。お金を貸し付けてその利息をあてにできるのは市場が活気づいているときだということは私にもわかります。世界には市場が冷え込んでもまだ貸し付けを続ける金融機関があって、借金で首が回らない人々が増えています。そんな国では”借金を帳消しにします。さあ皆さん、消費生活を楽しみましょう”と政府が大号令を発しています。素人にとってそんな国は竜宮城のようにしか思えません。乙姫様から渡された玉手箱を抱えているような、ギリシャ神話のパンドラの箱を抱えているような危うさを感じます。一方で、庶民が日々の生活のために稼いだお金は税金となって政治家や役人の手元に吸い上げられると、勘違いも甚だしい別物に変身してしまいます。お金って一体何でしょうか?
 世界にはお金が溢れているのに、私たちの生活は一向に良くならない気がします。どうすれば、この閉塞感を打開できるのでしょうか。この溢れているお金は市場に新たな価値がないために投資できずにあるお金だそうです。本質的な打開策は「ゼロから新しい価値を創出すること」なのかも知れません。新技術には投資するが、それを生み出す人材や社会環境にはどれだけの投資がなされているでしょうか。基礎科学や技術開発をしているのは研究者・技術者たちです。かつて産業革命が経済を大きく成長させたのも、その原動力は創造性豊かな人材でした。今まさに、本庶佑妻先生のような大鉈を振るって高い目標を達成しようとする人材が必要です。人材育成には時間がかかります。今からじっくりと腰を据えて取り組む必要があります。一方、 猿蟹合戦の猿を許容する社会では独創性豊かな人材は枯れてしまいます。人材の育つ社会環境も整備する必要があります。これにもおそらく長い時間と費用を要すると思われます。いま有り余ったお金があるのなら、次の時代を創成するために思い切った投資をしてもらいたいものです。





 竜宮城の謎

 今年の埼玉大学ホームカミングデー(10.13)特別講演講師は小松和彦先生(国際日本文化研究センター所長、阪大名誉教授)でした。昨年はノーベル物理学賞を受賞された梶田先生(東京大学教授)でした。この特別講演は大学OBをお呼びして講演いただくもので大変興味深いお話しが伺えます。是非、多くのOBに聴講していただきたいと思います。

 小松先生は教養学部のOBで埼玉大学フェローでいらっしゃいます。「竜宮城の謎」は大変興味深いものでした。とくに、竜宮で代表される「異界」の特徴として四方四季の庭と、不老長寿の時間の二つがあるそうです。また主人公は絵にも描けない美しい世界でしばらく過ごすと帰りたくなり、帰ると人でなくなってしまったり、玉手箱を開けると死んで灰になってしまう残酷物語や、鶴になりやがて神になってHappy endの話もあるそうです。Happy end の「めでたし、めでたし。」で終わられても何がめでたいのかわからないと小松先生はおっしゃっていました。無理矢理感がありますね。また、絵にも描けない美しさと称される竜宮城は、絵巻物の中で中国のお城が多く描かれています。また絵師が男性なのか舞う鯛や比目魚は女性として描かれているものが多いそうです。お話しの中で小松先生は「乙姫と太郎が三年暮らして手も握らないはずはない」など茶目っ気のあるコメントで会場をリラックスした雰囲気にして下さいました。

 お話しを聴きながら素人なりにぼんやりと想像を巡らせていました。”例えばグリム童話が残酷な話からハッピーエンドに変えられたように、浦島太郎の話も神になるといった物語は、時代の何らかの要請によって後から変えられたのではないだろうか?残酷なエンディングには何か教訓めいた著者の意図があったのか?一つの庭で四季を同時に楽しめるなんてあり得ないし、不老不死は未来永劫あり得ない。それらが備わっている竜宮城という異界は、人の想像し得る最大の”欲望”そのものではないのか。その幻覚であり、度の過ぎた欲望を貪った人は、最後にはその代償を払わされるものであり、手痛い仕打ちを被る。ここから国家としての生活規範や教育的なメッセージ、もしかすると奈良時代からある物語なので仏教の教えや中国古典の教訓、死生観といったものを子供達に伝える手段だったのか。一方で古い一つの物語が時代と共に書き換えられた履歴がわかれば、社会情勢や日本人の精神世界の変遷が浮き彫りになるかも知れない。竜宮城が中国のお城をイメージして絵巻物に描かれているなら、もともとは中国の物語なのか、当時先進国であった中国への憧れを日本人は抱いていたのであろう。また、浦島太郎は3年間を竜宮城で過ごし、親が恋しくなって村に帰ってくると700年が経っていた。乙姫様は太郎に助けられた亀であったという物語もある。よって、竜宮城にいる間、太郎は寿命が一万年の亀になっていたのではないか。太郎自身は亀になったことに気づかず、人の寿命スケールで700年を3年だと錯覚したのであろう。太郎の本来もつ人としての寿命Xをここから試算すると、10,000:X=700:3でXはおよそ43才となる。異界の物語から当時の人の寿命まで推定できるなんて面白いかも・・・。それにしても玉手箱なんてどうして持たされたのだろうか?親が恋しくなって乙姫様の元を去る太郎を乙姫様はどう思ったのだろうか。乙姫様のメラメラとした正直な気持ちが玉手箱にギュッと詰まっていたなら、じつに恐ろしい話だ。子供には到底分かるまい。” 人文研究は奥が深くて想像力を駆り立てられました。





 アシュキン氏から学んだこと

 今年のノーベル物理学賞は米国のアシュキン氏に授与されると発表されました。1971年に光の力の計算とレーザによる実証実験をされたことで有名な方です。日本でもいち早くこれに着目したのが増原先生や三澤先生でした。1993年頃、学位を取ったばかりの私は次の研究テーマを探していました。そのときに都内でたまたま増原先生のご講演を聴講したのです。水中のラテックス粒子が光の力で移動する映像を見たとき、加工に応用できるのではないかと思いました。興奮気味に増原先生にその構想をお話しすると、「装置なんてお金はかからないし、面白そうだからやってみたらいいよ。」とのこと。若者の無謀とも思えるアイデアに対して、そんなアドバイスができる増原先生は立派だとあらためて思います。早速、研究所に戻り入学したばかりの博士課程の学生に「レーザトラッピングの研究を一緒にやってみないか」と誘うと、一晩考えた末「リスクが高すぎます」と断ってきたのでした。その学生はその後もテーマに苦労しながら大学院生活を続けたのでした。

 まもなく東海地方の大学に移った私は、このレーザトラッピングの無謀な計画を科研費に申請し、大幅減額ながらも何故か採択されたのでした。昔は若者に失敗させて育ててやろうという余裕があったのかも知れません。案の定、喜びもつかの間、予算が足らず実験装置の製作では苦労しました。レーザ発振器の購入では営業と熾烈な駆け引きをして何とか購入できました。しかし「市販の対物レンズにレーザを入射したら一発で壊れる」とレンズメーカに脅かされ困り果てていると、「壊れるという話は、自分で確かめたのかい?」と初対面の技術者に訊かれ、「他人の言うことを鵜呑みにして一歩も進まないのは如何なものか」と言われたのでした。その方は休日に車を飛ばして東京から来てくれて、一緒に実験室で対物レンズの耐久試験までしてくれました。光軸さえ合っていれば問題ないことがわかり、不思議な縁でレーザトラッピング装置は完成まで漕ぎ着けることができました。

 配属されてきた4年生学生に「レーザトラッピングの研究をしてみないか」と呼びかけてみると、すぐさま「面白そうですね」と一人の学生が応えてくれました。早速、そのS君と実験を始めたのですが、初っぱなからアシュキン氏の論文にはない不思議な現象がわんさか出てきました。その多くは、研究目的に対して”不都合な事実”ばかりで、折角のアイデアを否定する現象ばかりでした。「何でこんな事が起きるのだろうか?」本来の研究目的はとりあえず横に置いて、誰も見たことのない不可思議な現象の謎に夢中になっていきました。まるで深海の生物を探るような、遠い小惑星の地表を見るようなワクワクする気分だったように思います。そのうち、一つ謎が解ける毎に「なるほどそうだったのか。凄いね!」と自然に対する畏敬の念を抱くようになりました。ただ次の瞬間には「だったら、これまで誰もできなかったこんな事ができるのではないか?」とワクワクするような発明にこころ奪われていました。S君は実験に没頭し、真夜中にも関わらず「できました!」と興奮して電話して来るほどでした。上の写真は世界で初めて空中に(8/1000)mmの大きさのガラスビーズを持ち上げて、220個からなる三角錐を組み立てているところを撮影したものです。それまでは床に置かれた微小なガラスビーズは表面張力が原因でレーザ光の力では持ち上げることができないとされていました。しかし、実験中のある偶然からそれが可能となったのでした。そのうち、多くの学生が面白がって実験に参加するようになり、S君も日本学術振興会から奨学金をもらいながら立派に学位を取得しました。S君の学位はレーザトラッピングの新たな可能性を提案し、それらを実証した功績に対して授与されました。審査会では賞賛の声が挙がり指導教官として喜びを感じた瞬間でした。

 最初の無謀な構想”加工への応用”は、全く別の新世界を拓くきっかけになりました。しかし未だにその構想は実現できていないのです。思えば人間の考える事なんてちっぽけなものです。ただ自然の摂理に身を委ねる覚悟さえあれば、新たな研究の扉は必ず開かれることを学んだような気がしています。アシュキン氏とは直接お会いしたことなどありませんが、お陰でレーザトラッピングという技術と出会い、研究者として多くのことを学ばせてもらいました。報道によると、彼は96才になった今も研究を続けていて、太陽光エネルギーの研究に夢中だそうです。学ぶべきところの多い研究者です。ノーベル物理学賞の受賞を心からお祝い申し上げます。
 (2020.9.21に亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)





 レーザ協会 182回研究会 

 レーザ協会182回研究会が9月14日(金)、埼玉大学で開催されました。この協会は、かつてレーザ加工研究会と称していました。日本のメーカがレーザ加工機を上市するのを契機に、産業界主体で設立されました。2021年には50周年を迎える日本最古のレーザ加工関連組織です。創設にはかつて埼玉大学で教鞭を執られた小林昭教授(設立当時は東芝生産技術研究所所長)が深く関わっていました。昔、私が学生の時には先生の代理で、何度か研究会に参加させてもらいました。研究会では著名な方ばかりで大いに刺激を受けたのを覚えています。あれから随分と月日が経ちましたが、今も勢いが衰えることなく活動を続けています。レーザ関連の学協会はいくつかの系統があります。レーザ発振器は電気工学、光学は応用物理学、レーザ加工は精密工学でそれぞれ文化が違います。レーザ協会は精密工学を中心とした組織です。現場で役立つレーザ加工技術の最新情報を提供しています。

 
       庄司会長             討論の様子       会場の様子(司会比田井先生
   
      新井講師             多久島講師            三木講師



 函館の夜景は?

 9月は学会シーズンです。今年の精密工学会秋季大会は久しぶりの北海道、しかも文明の灯火である夜景がとっても美しい函館での開催となりました。ただこの時期は台風シーズンでもあります。往きは迫り来る台風から逃げるように函館へ飛び、激しい風の音で眠れぬ夜を過ごしました。
 次の日は台風一過、学会大会初日に相応しい晴天となりました。学生の研究発表も順調に済んで、その晩は研究室の仲間と函館の味を堪能しました。ところが、酔いもほどよく冷めた未明に目を覚まし、何気なくTVをつけたとき、地震警報?が画面に突如として現れ、次の瞬間、電気が消えて大きな揺れがやってきたのです。長い夜が明けると街は大混乱になりました。店の商品はすぐになくなり、JR、市電、バスは運行停止。停電は18時間続き、ホテルの水道は6時間ストップしてトイレは使用禁止でした。Wi-Fiもまもなくつながらなくなり、情報難民・プチ被災者となったのでした。停電が続く現地の被災者、とくに備えの乏しい旅人にはニュースは届きません。せめて携帯電話やスマートフォーンにネット以外の情報を収集できる機能を付けて貰いたいものです。例えば、原始的に思えるかも知れませんが「電波ラジオ」が必要です。
 人々が生きていくことに多少なりとも憂いを募らせているとき、窓の外では鳥達がいつもどおり優雅に空を舞っていました。本来、生きものは皆、自然の中で生きていたのに人間だけが”文明”という籠の中に閉じこめられているような気がしました。写真は変わり果てた函館の夜景です。





 祝 SF委員会 80回記念講演会

 8月24日は次世代固定砥粒加工プロセス専門委員会の記念すべき80回目の研究会でした。記念の幕を用意してお祝いをしました。これを機に作ったSF委員会のシンボルマークには宮下先生へのリスペクトの気持ちが込められています。これまで当委員会をご支援いただいた会員と運営にご尽力いただいた委員の皆様に感謝致します。今回、いずれの講演も80回記念に相応しい素晴らしいものでした。講師の皆様に感謝致します。今後も「来て良かった、次が待ち遠しい」と言って頂けるような会にして行きたいと思います。何とぞ、よろしくお願いします。 

     





 車窓からみた風景

 この写真は、旅の途中に車窓から思わず撮った一枚です。大地に広がる碧い田畑、遠くに映える青い空、沸き立つ白い雲。忘却の淵に倒れかかった微かな記憶さえも、たぐり寄せそうな懐かしい風景でした。2018.8

       




 ATOM(将来技術研究会)が埼玉大学で開催されました

 埼玉大学で第125回ATOM研究会が開催されました。生産加工系の2つの研究室から話題提供があり、その後は実演を兼ねた研究室見学を行いました。交流会は浦和の街に繰り出し、地産地消の店で夜遅くまで酒を酌み交わし大いに盛り上がりました。遠いところから来て下さった皆様に感謝いたします。つい、いい気になって飲み過ぎました。案の定、次の日は酷い二日酔いでした。それでもATOMの興奮は冷めやらず、気分が少し落ち着くとATOMの源となった「アトム」について、ぼんやりと考えていました。「鉄腕アトム」の中で、手塚治虫は当時まだ実現されていない夢の科学技術をふんだんに登場させました。1963年-66年にかけてTV放映され、その後も再放送が繰り返され、少年たちはモノクロTVに釘付けとなり、色鮮やかな未来を見つめていました。数十年後、少年たちの中からは世界をリードする科学者・技術者が生まれました。まさしく、「アトム」は国の行く末を左右したアニメだったと言えます。ATOMのメンバーも国の行く末を託された人たちです。ATOMで大事なものをたくさん吸収してこれから大いに活躍されることでしょう。楽しみです。



 月下美人(A queen of a night)

 機械棟5階の窓辺には、十数年前からサボテン科・クジャクサボテン属「月下美人」の鉢があります。かつて名誉教授から、”忙しい時でも植物を愛でる余裕をもちなさい”と頂戴したものです。毎年6月から11月にかけて白い大輪の花を咲かせています。今年は7月に入り、同時に7つも花を咲かせてフロア一面に甘い香りを漂わせていました。花言葉はその姿から『あでやかな美人』または、たった一晩しか咲かないことから『はかない美』『はかない恋』だそうです。誰の目にも触れず、美しい花をひっそりと咲かせる健気(けなげ)さに共感を覚える愛好家も多いのではないでしょうか。じつは月下美人にはもう一つ花言葉があります。それは『秘めた情熱』。 Click→




 梅の実

 学科建屋の玄関からほど近いところにK先生の退官記念樹(紅梅)があります。私が赴任したときには、冬の終わりに僅かに紅色の花をつける、いまにも折れそうな細く痩せた樹木でした。近くにはこれに覆い被さるようにして生えている大きなケヤキがあり、全くといって良いほどこの紅梅には日が当たらなかったのです。しかし2年ほど前に、このケヤキの大胆な剪定が行われ、痩せこけた紅梅にもやっと日が当たるようになりました。最近は葉っぱも徐々に増え、僅かながらも実をつけるまでになりました。まだ細い木ではありますが、こんなにも生命力が宿っていたなんて驚きです。来年はもっと多くの実がつきますように。






 かまぼこの山

 ここしばらくは毎日が〆切に追われ、しかも一つ仕事が片付くとまた別の仕事が舞い込んできて仕事は溜まる一方。「まあ、こんな時もあるか・・・」と諦めつつ、若手と呼ばれた昔に学会で言われたことを思い出していました。「学者と医者と芸者は同じだよ。お呼びが掛からなくなったらお終いだ。」この戯けたナンセンス話に乗せられて、今もあまり変わらない日々を送っています。歳をとると根気が失せるせいか、さすがにこれは酷い話だと思えてきます。いま国会で審議されている働き方改革法案が学者を目指す若者にとって救済策となることを祈ります。
 そんな日々を送っている私のもとに、食品加工装置も手がける会社の、カラオケ上手なK会長から段ボール箱が届きました。中を開けてみるとご覧のとおり、かまぼこが山のように入っていました。メッセージは見あたりません。”さては装置の性能試験後に処分に困ったかな?”そう思った瞬間、悪戯っぽく微笑むK会長の顔が浮かんできました。気づくと久しぶりに笑ってる自分がいました。





 紫陽花

 大学の先端加工実験室は戸建ての実験室です。この建屋には50年前、大型計算機が納められていました。40年前には応用物理研究室の実験室になり、2004年に大規模な修繕が行われ、我々の実験室に生まれ変わりました。時代の流れの中で、この建屋の役割も、利用する人々も移り変わっていきました。でも、この建屋周辺にはずっと昔から寒椿、つつじ、紫陽花などが生息し、建屋の変遷と行き交う人々を静かに見守っています。今朝、雨上がりに紫陽花が小ぶりながらも美しい花を咲かせていました。その鮮やかさに魅せられて思わずシャッターを切りました。





 SF専門委員会の本当の魅力とは?

 4月20日は砥粒加工学会次世代固定砥粒加工プロセス専門委員会(通称:SF)第78回研究会を芝大門のアメテック本社で開催しました。今回はアメテックのご協力で見学会付き講演会となりました。柴田順二先生(芝浦工業大学名誉教授)には「真球創成加工の温故知新」と題して球体加工の奥深さについてお話しを伺いました。現在、先生は3回に亘りNHKの「凄技」を監修されていらっしゃるそうです。また、産総研の藤井賢一先生からは単結晶シリコンによる真球創成がキログラムの新しい定義とどのように結びついているのか、興味深いお話しを伺うことができました。つくばにはキログラム原器が世界のどこよりも良好な状態で保存されているそうです。世界の原器が大戦で消失する中、日本では基準局の威信をかけてこれを死守した歴史のあることを知りました。技術交流会でも議論は続き、大いに盛り上がりました。帰り道、数名で老舗のもつ焼き酒場「秋田屋」に立ち寄り、路上での立ち飲みとなりました(写真)。SF専門委員会の魅力は「よく練られた企画、わかりやすい講演」にあると言われますが、本当は「楽しむことを忘れない人たち」にあるのだと信じて疑わないのですが、・・・少し二日酔いかも。





 生産原論専門委員会 〜書庫で見つけた一枚〜

 3月23日は埼玉大学で精密工学会生産原論専門委員会が開催されました。大学図書館には生産原論提唱者の小林昭先生から寄贈された書籍と大量の資料が保管されています。書籍はすでに「生産原論文庫」として誰でも閲覧できるように整備されています。資料は未整理の部分も多く、この日の委員会では書庫に入って資料整理をしました。作業中、小林先生ご夫妻の1988年頃(引退されて間もない頃)の写真が偶然見つかりました。しばし整理の手を止め見入ってしまいました。
 先生ご夫妻はとても仲がよく、生涯14組の仲人をされました。14組目は私たち夫婦でした。先生のご自宅近くのレストランで楽しい一時をご一緒した帰り道、「今日のことは、ずっとずっと忘れないでいてくださいね」と奥様が弾む声で私たちにおっしゃったことが、ふと蘇ってきました。時の流れの中で人は出会い、別れていく。嬉しくもあり、それ故に悲しくもあります。一期一会、大切にしたいものです。


hana





 第80回記念 ELID研削セミナー

 2018年3月22日、理化学研究所(和光)でELID研削セミナーが開催されました。今回で80回目を迎えるそうで、この節目の回に出席させて頂いたことに感謝致します。永きにわたり当セミナーを主宰されてこられた大森先生はじめ、スタッフの皆様のご尽力に敬意を表します。小生は「レーザ微細加工の基礎と応用」について話を致しました。ELIDグループからは3Dプリンターを使ったELID用砥石の製造技術やレーザを用いたセリア砥粒の再生技術のご発表があり興味深い内容でした。最後にマイクロバブルに関する平井教授(ものつくり大学)の講演がありました。久しぶりにお会いしましたが相変わらず聴衆を魅了するしゃべりで、つい引き込まれてしまいました。(^.^)






 追いコン

 北浦和の焼鳥屋で追い出しコンパをしました。修士4名、学部4年生3名が研究室から巣立っていきます。研究室で出会った皆との絆を大切にしてもらいたいと思います。また、これまで諸君らが行ってきた卒論、修論は諸君らのための用意された教材です。私の伝えたいメッセージが込められています。折に触れ顧みてくれれば幸いです。諸君らの前途を祝して乾杯!!








 砥粒加工学会 事務局長退任パーティー

 16年間砥粒加工学会の事務局を切り盛りいただいた林事務局長がこの3月で退任されました。理事会や出版部会は林事務局長なしではやっていけなかったと思います。大変お世話になりました。感謝申し上げます。これからもご健勝でご活躍下さいますようお祈り申し上げます。







 砥粒加工学会 先進テクノフェア(ATF)

 大田区PiOで賛助会員会企画のATFが開催されました。関東に大雨警報が発令された日でした。しかし大勢の皆さんが集まり大盛況でした。右の写真は交流会で撮影されたものです。楽しげな様子がわかるかと思います。今期の学会長は「楽しい学会」を目指しています。昼間は技術・研究を熱く語り合い、夜は酒を酌み交わし談笑する。まさしく楽しい学会です。大雨警報下の街で老若男女問わず夜遅くまで酒宴は続きました。





 2017年度 学生表彰

 修士2年佐野侑希君が学生表彰を受けました。彼はガラスの研磨においてセリア砥粒の意外な一面を知り、その面白さに気づいた学生でした。セリア砥粒とガラスの研磨メカニズムについては昔から多くの研究があり、メカノケミカル反応が知られています。しかしガラスの研磨現場では不純物が含まれているセリア砥粒や鼻薬を入れたスラリーが使われています。純粋な砥粒ほど効率よく反応が生じて良いはずなのに何故だろう?疑問に思って研磨実験をしてみると、確かに99%純度のものはほとんどガラスの研磨ができませんでした。そこで砥粒の特性を多面的に捉えるためさまざまな実験を行い、ある温度以上で焼成した砥粒で研磨すると能率が急上昇することを見出しました。研磨能率に与える影響要因も少しずつ解明されてきました。まだ完結していませんが彼の修士論文は、常識と思われることの中から某かの疑問を見出しそれを解明していく研究となりました。2017年度精密工学会秋季大会(大阪大学)ではベストプレゼンテーション賞を頂戴しました。社会に出てもこの経験を活かして革新的な仕事をしてもらえたら指導教員として本望です。



 銀座のシンボル 和光時計台

 4年にわたってお世話になった公益社団法人精密工学会理事会も3月1日をもって最終回となりました。毎回、銀座に集まり議論したこと、交流会で談笑したことが胸中を駆けめぐり名残惜しくもあり、またゴールにたどり着いたランナーのような安堵感も覚えた一日でした。理事会終了後にメンバーとともに銀ブラして、近くの和光時計台に出向きました。理事会で苦楽を共にしたセイコー役員の方の粋な計らいで実現したものです。
 この時計台の歴史は古く1894年に始まります。現在の時計台は二代目で着工直後に関東大震災に見舞われ、約10年の時をかけ1932年に完成したそうです。それ以来86年もの間、銀座の街を見下ろし、日本社会の変遷と、喜怒哀楽に満ちた様々な人生模様を見守り続けています。時計台の外壁には御影石が用いられており、ネオ・ルネサンス様式の建築物です。文字盤は東西南北を向いて4面あり、右の集合写真は目抜き通りからは見ることのできない北側文字盤(直径2m)の前で撮影されたものです。時計台の天辺には避雷針を兼ねた掲揚ポールがありますが今は使われていません。ただ東日本大震災が起きた日には半旗が掲げられたそうです。
 レトロな趣のある時計ですが中身は最新のGPS電波受信機能を兼ね備えた精密時計でした。見学中に6時を告げる鐘の音を聞きました。5時59分15秒からウエストミンスター式チャイム(昔、小学校でよく聞いた、♪キーンコンカーンコン、キンコーンカンコーン♪)が鳴り始め、続けて6回鐘の音が銀座の街に響きわたりました。その音色に歴史の重みとセイコーの確かな誇りを感じました。



 大雪の北陸

 北陸新幹線のお陰で北陸地方は随分身近になりました。2時間4分で大宮から金沢に到着、日帰り出張も十分可能になりました。私が出向いた日は北陸地方に大雪警報が出された日でしたが、関東は晴天でしたので気軽に新幹線に乗り込みました。ところが北陸に到着すると街はすっぽり雪の中といった様子でした。在来線は全て運休しており、雪を甘く見ていたことを大いに後悔しました。訪問先には丁重に訪問キャンセルを伝えたのですが「雪で電車が動かなくても車があります。」とのこと。100km離れた事業所からアイスバーンの山道を2時間で走破し、迎えに来て下さいました。雪国の雪とそこで暮らす人の心意気を知り、一段と雪国が身近に感じられた旅でした。





 研究室忘年会

一日の生活イメージ  今年も残り一週間となりました。研究室では卒業、修了に向けてラストスパートに入っている連中も多く、忙しくなってきました。12月21日は月末報告会、大掃除、講義と大忙しの一日でしたが、夜は楽しい忘年会でした。今年、新しいことに巡り会えた学生も多く、楽しく研究生活が送れたのではないかと思います。来年もさらに未知の世界を探検し、新しい技術開発につながれば楽しいに違いありません。学生諸君には大いに期待しています。





 CBN&ダイヤモンド先進加工研究会専門委員会 第16回研究講演会

体験学習イメージ

 市田宇都宮大学名誉教授が主宰する専門委員会に招かれ、「レーザ加工の原理と硬脆材料への応用」について講演をしました。市田先生は大学を引退後、これまでにないCBN材料を開発しており、現在はレーザでの形状加工に大いに興味を持っているとのことでした。先生の溌剌とされているお姿に元気を頂戴した楽しい一時でした。
 他にDMG森精機の近藤様、Rollomatic SA Mr.Sven Peter、名古屋工業大学 糸魚川教授のご講演があり、どれも興味深い内容でした。当専門委員会では毎回講演者を囲んで記念写真を撮るのが決まりだそうです。右の写真はその時撮影された一枚です。技術交流会でも大いに議論が盛り上がりました。一期一会ですね。2017.12.20





 ATOM(2017.12.16)

英語学習イメージ

 将来技術研究会(ATOM)は1980年代から続く手弁当の研究会です。私が研究者を志した若かりし頃に李先生の呼びかけで始まりました。若手が集まって学会ではできない斬新な企画を立て、いろいろなところへ行って見たり聞いたりしてきました。様々な分野の方々と交流を持っことで、物事を多面的に捉え、独創研究の源となる感性や認識、価値観を少しでも身につけたいと思っています。今回の研究会では東芝機械の相良様から大形工作機械の技術講演、慶応義塾大学で学位を取得した小池氏のATOM公聴会、ディスコの方からスーパープレゼンテーション法のお話しを伺いました。とくに相良様のご講演は永年のご経験を基にされており、精密工学会2Gや砥粒加工学会の事業部会あたりで講習会を企画されたら集客が期待されると思いました。研究会後の忘年会では、かつてATOMを牽引されたシニアメンバーと若手の世代を超えた交流ができました。
 

















 SEMICON JAPAN

体験学習イメージ  2017年12月13日〜15日、東京ビッグサイトで半導体産業の最大イベントSEMICONが開催されました。3日間で6万人を越える来場者があり、研究室のブース説明では、学生全員に担当してもらいました。産業界からの質問は、学会とは異なって実用、経済に直結しており、学生たちは大いに刺激を受けたようです。また、専門外の方々にも興味を持ってもらえるような説明をするべく努力をしたようですが、学生からは自分の知識不足を感じたなど今後の知識収集や研究のモチベーションを得たようです。ブースにはOBも立ち寄ってくれました。













                訪問してくれたOBの橋本君と、初日を担当した研究室のメンバー



 精密工学会九州支部 熊本地方講演会

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2017年12月2日(土)に熊本大学で首記の講演会が開催されました。研究成果発表は口頭とポスターで行われ活発でした。産学連携のシステムも素晴らしく大いに参考になりました。私は本部理事の招待講演ということでお引受けしSiC加工についてお話しを致しました。その後は皆様との交流を楽しみ、技術交流会→懇親会(土肥先生ともお会いしました)→二次会と続きすっかり時間を忘れてしまいました。二次会ではたこ焼きを食べましたが、中にデスソース入りのものが1つだけ混ざっておりスリル満点で大いに笑いました。楽しい心温まる会となりました。九州の皆様の情熱とおもてなしの心を大いに感じた一日でした。
 翌日には熊本城を訪れました。写真のように無惨な状態がまだ見受けられました。修復工事が始まったばかりで、崩れた石垣の一つ一つに番号が付されいるのを見ました。気の遠くなる作業が待っているかと思うと思わずため息が漏れました。一日も早い復興をお祈りします。




 とちぎ技能五輪大会

体験学習イメージ  2017年11月25日(土)に公益社団法人精密工学会生産原論専門委員会がとちぎで行われました。今回はとちぎ技能五輪の見学を行いました。小山で下車し、関東能力開発大学校の伊藤昌樹先生のベンツE-400に乗せていただきコマツの工場に直行しました。そこでは精密組み立ての競技が行われていました。各企業が応援団を組んで写真にあるような寄せ書きの元で若者が黙々と課題に取り組んでいました。猛特訓を受けてきた精鋭たちです。当日、図面の一部が変更され、それに対応しなければなりません。何時間もひたすらものづくりに取り組む若者の姿には感動を覚えました。その後は大学校に移動し、溶接競技を見学させてもらいました。この日は栃木県内の様々な会場で多くの競技が行われていました。
 企業はものづくりのスキルを継承すべく、この競技大会を毎年実施しています。それでも最近はアジア諸国に優勝を持って行かれる割合が増えたそうです。世界の工場と呼ばれる生産現場が、国内からアジア諸国に移っている現状からすれば自然の流れなのかも知れません。
 大学でも技術職員による教育技能五輪を開催したらどうかと思います。教員は学会で受賞の機会がありますが、技術職員の方々にも同様に輝ける機会が必要です。日頃、実験装置の試作や実習教育で鍛えた腕前を競えば、日本の実習教育レベルも向上していくはずです。大会の優勝者は学長から表彰して頂きましょう。





競技関係者から話を聴く生産原論専門委員会メンバー:
・伊藤昌樹関東能力開発大学校教授
・河西敏雄埼玉大学名誉教授・砥粒加工学会名誉会員
・塚田為康砥粒加工学会名誉会員
































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Lists

2019年
19)リレーバトン
18)駿河台界隈
17)無邪気にあそぶ子供達
16)原爆資料館
15)河川の氾濫は天災なの?
14)かめ吉
13)ARIGATOU
12)秋の夜長のMusic journey 2
11)秋の夜長のMusic journey 1
10)カミ様の悪戯
9)夏祭りで不意打ちを食らう
8)
7)白木蘭の花
6)学ぶ重み 教える重み
5)人を支援する機械
4)対極にあるものは?
3)創造は想像から
2)4K8Kは四苦八苦?
1)BONSAIの世界

2018年
27)埋もれた光景
26)タイムマシーン
25)ほろ酔い口伝
24)「むつめ祭」 ちょっと変な名前じゃないですか
23)いい旅の予感
22)ここはどこ?
21)お金の行方は?
20)竜宮城の謎
19)アシュキン氏から学んだこと
18)レーザ協会 182回研究会
17)函館の夜景は?
16)祝 SF委員会 80回記念講演会
15)車窓からみた風景
14)ATOM(将来技術研究会)が埼玉大学で開催されました
13)月下美人(A queen of a night)
12)梅の実
11)かまぼこの山
10)紫陽花
9)SF専門委員会の本当の魅力とは?
8)生産原論専門委員会 〜書庫で見つけた一枚〜
7)第80回記念 ELID研削セミナー
6)追いコン
5)砥粒加工学会 事務局長退任パーティー
4)砥粒加工学会 先進テクノフェア(ATF
3)2017年度 学生表彰
2)銀座のシンボル 和光時計台
1)大雪の北陸


2017年
6)研究室忘年会
5)CBN&ダイヤモンド先進加工研究会専門委員会 第16回研究講演会
4)ATOM(2017.12.6)
3)SEMICON JAPAN
2)精密工学会九州支部 熊本地方講演会
1)とちぎ技能五輪大会