今年の埼玉大学ホームカミングデー(10.13)特別講演講師は小松和彦先生(国際日本文化研究センター所長、大阪大学名誉教授)でした。昨年はノーベル物理学賞を受賞された梶田先生(東京大学教授)でした。この特別講演は大学OBをお呼びして講演いただくもので大変興味深いお話しが伺えます。是非、多くのOBに聴講していただきたいと思います。
小松先生は教養学部のOBで埼玉大学フェローでいらっしゃいます。「竜宮城の謎」は大変興味深いものでした。とくに、竜宮で代表される「異界」の特徴として四方四季の庭と、不老長寿の時間の二つがあるそうです。また主人公は絵にも描けない美しい世界でしばらく過ごすと帰りたくなり、帰ると人でなくなってしまったり、玉手箱を開けると死んで灰になってしまう残酷物語や、鶴になりやがて神になってHappy
endの話もあるそうです。Happy end の「めでたし、めでたし。」で終わられても何がめでたいのかわからないと小松先生はおっしゃっていました。無理矢理感がありますね。また、絵にも描けない美しさと称される竜宮城は、絵巻物の中で中国のお城が多く描かれています。また絵師が男性なのか舞う鯛や比目魚は女性として描かれているものが多いそうです。お話しの中で小松先生は「乙姫と太郎が三年暮らして手も握らないはずはない」など茶目っ気のあるコメントで会場をリラックスした雰囲気にして下さいました。
お話しを聴きながら素人なりにぼんやりと想像を巡らせていました。”例えばグリム童話が残酷な話からハッピーエンドに変えられたように、浦島太郎の話も神になるといった物語は、時代の何らかの要請によって後から変えられたのではないだろうか?残酷なエンディングには何か教訓めいた著者の意図があったのか?一つの庭で四季を同時に楽しめるなんてあり得ないし、不老不死は未来永劫あり得ない。それらが備わっている竜宮城という異界は、人の想像し得る最大の”欲望”そのものではないのか。その幻覚であり、度の過ぎた欲望を貪った人は、最後にはその代償を払わされるものであり、手痛い仕打ちを被る。ここから国家としての生活規範や教育的なメッセージ、もしかすると奈良時代からある物語なので仏教の教えや中国古典の教訓、死生観といったものを子供達に伝える手段だったのか。一方で古い一つの物語が時代と共に書き換えられた履歴がわかれば、社会情勢や日本人の精神世界の変遷が浮き彫りになるかも知れない。竜宮城が中国のお城をイメージして絵巻物に描かれているなら、もともとは中国の物語なのか、当時先進国であった中国への憧れを日本人は抱いていたのであろう。また、浦島太郎は3年間を竜宮城で過ごし、親が恋しくなって村に帰ってくると700年が経っていた。乙姫様は太郎に助けられた亀であったという物語もある。よって、竜宮城にいる間、太郎は寿命が一万年の亀になっていたのではないか。太郎自身は亀になったことに気づかず、人の寿命スケールで700年を3年だと錯覚したのであろう。太郎の本来もつ人としての寿命Xをここから試算すると、10,000:X=700:3でXはおよそ43才となる。異界の物語から当時の人の寿命まで推定できるなんて面白いかも・・・。それにしても玉手箱なんてどうして持たされたのだろうか?親が恋しくなって乙姫様の元を去る太郎を乙姫様はどう思ったのだろうか。乙姫様のメラメラとした正直な気持ちが玉手箱にギュッと詰まっていたなら、じつに恐ろしい話だ。子供には到底分かるまい。” 人文研究は奥が深くて想像力を駆り立てられました。