K先生との出会いは私が大学2年の時だから,もう40年以上も前のことになる.当時,大学の機械工学科には教授不在の研究室があり,近々新しく教授が着任されるとの噂が広まっていた.何でも世界的に大変高名な学者であるという大層な前評判であった.
K先生の講義の始まる日が来た.前の時限の先生は大量の板書をされる方で,その日黒板を消さずに教室を出て行ってしまった.その後まもなくして,上下作業服を着て大きな眼鏡をかけたお年を召した方が入ってきて,「誰の講義だい?」と前列の学生に尋ねながら丁寧に黒板を消している.消し終わると,何気なく教室の隅で休まれている.そろそろK先生が来られる時間だと言うのに,やけにのんびりした用務員さんだと思った.他人事ながら冷や冷やしていると,その用務員さんは何気なく立ち上がり,「さあ講義を始めようか.」と一言.まさか・・・.当時,大学教授と言えば,スーツをバシッと決めて颯爽と教壇に上がられる方ばかりだったので大いに驚いた.
K先生の講義は今までにないユニークなものであった.教壇から降りてきて教室の真ん中で話を始められた.「どうして君たちは機械工学科に入学してきたの?」「君はどうだい?」と言って順に学生に問いかけて発言を求めた.「何となく」という答えが多かったと思う.中には「自分で思い通りのオートバイを造ってみたいから」と言った学生がいて,K先生の目が少し輝いたのを覚えている.結局,機械工業分野についてあまりにも学生が知らないものだから「君たちが卒業して活躍する業界がどんなものか知る必要ある」とおっしゃって,機械工業の調査レポートが課題として出された.入学理由が「何となく」の部類だった私は,レポート作成をとおしてこれまでモヤモヤしていたものが少し整理されてくるような晴れやかな気分になれた.その後の講義もわかりやすく,私たちは加工学の専門知識だけでなく,K先生の「モノづくり哲学」に触れ魅了されていったように思う.「この先生には哲学がある.」我々学生はそう感じていたし,知的好奇心を擽られながら,K先生の瑞々しい感性に触れることがとても心地よかった.当時の学生は,学生自治会の集会がある日には講義をボイコットするのが常であった.しかし,そんな日でもK先生の講義だけは欠席する者がいなかった.豊富な経験と真の研究者でいらっしゃったことが「何となく」の学生たちを目覚めさせたに違いない.”魂を揺さぶる教育”を実践されたのであろう.K先生の退官時には,先生のお部屋の前にサインを求める学生の長い列ができたそうである.
生前,K先生に「なぜ最初の講義に作業服を着ていらっしゃったのですか」と訊いてみたことがある.しかし,にっこりされるだけでかわされてしまった.私は今まで大学という職場を3つ渡り歩いてきた.その大学での最初の講義には,決まって作業服を身につけ教壇に上がることにしている.K先生の真似だが,これまでは用務員さんに間違えられたことはない.しかしそろそろ昔の自分のような不届き学生に勘違いされそうな年齢となってきた。今後は少し気をつけたいと思う。