K先生が体調を崩されて入院された.私が東海地方の大学から現在の大学に赴任してまもなくのことである.K先生の部下であり,私も公私に亘ってお世話になっているKa先生とKo先生の3人でお見舞いに馳せ参じた.我々の訪問を知るとベットで寝ていらっしゃったK先生は上体を起こされ,しばらく楽しく世間話をされた.お話の最後にK先生はおもむろにレポート用紙2枚に亘る文書を私たちに差し出された.それはK先生の研究者としての遺言状とも受け取れる内容であった.
我々は内心では大きく動揺していたが,その場は和やかにせねばと必死であった.しかし隠し通せそうもなく,まもなく病室を後にした.いつもK先生のお宅にお邪魔したその帰りには,お宅の前の角を曲がるまでK先生は玄関からずっと笑顔で見送って下さるのが常であった.私は曲がり角でもう一度振り返ってご挨拶をしたものである.病室はカーテンで廊下と仕切られていた.部屋から出たとき,何気なくいつもの癖で振り返った.カーテンの合間から窓を背にしてベットの上に座っていらっしゃるK先生の姿が逆光の中でシルエットになって見えた.よく目をこらすと,K先生はこちらをじっと見つめて声を出さずに顔をくしゃくしゃにして泣いていらっしゃった.病院を後にしながら,幾度も振り返ってはK先生の病室の窓を見つめた.その日はどう帰ってきたのか覚えていないが,今でも歪んでくしゃくしゃになりそうな窓の記憶だけが残っている.
子供は親の背中を見て育つ.K先生が歩まれた道だから,私も生涯をかけて歩んでみようと思った.この気持ちに一点の迷いもない.私がK先生に恩返しできるとすれば,先生から受け取った大切なバトンを次世代に確実に手渡していくことなのだと思う.