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視点POINT OF View

アシュキン氏から学んだこと

 2018年のノーベル物理学賞は米国のアシュキン氏に授与されました。1971年に光の力の計算とレーザによる実証実験をされたことで有名な方です。アシュキン氏の論文と出会い、さまざまなことを学ばせて頂いたことをこれを機に備忘録として書き留めておきたいと思います。

 1993年のこと、学位を取ったばかりの私は次の研究テーマを探していました。それまでの研究では、電荷をもつ微粒子を電気泳動させて一極に集め、研磨仕上げに匹敵する研削砥石を開発したり、高速回転するダイヤモンドブレードに微粒子を連続的に付着させて硬脆材料の鏡面切断に成功していました。時代はまさに軽薄短小を求めており、ナノテクノロジー、MEMSといった新たな技術が勃興していました。精密・微細加工技術の重要性は疑う余地がありませんでした。私は砥粒加工にこだわって新たな精密・微細加工法を考えようとしていました。例えば、ピンポイント領域を仕上げるとします。工具は小さいほどよいのですが、砥粒の集合体である砥石サイズは砥粒一個よりも必ず大きくなります。回転軸も必要となります。複雑な微小領域の表面加工には確かに限界があります。その限界を最小にするには、砥粒一個を所望のピンポイント領域に誘導し、回転させ、押し当てて除去することができればよいと考えました。しかし、これまで慣れ親しんだ電気泳動現象では砥粒一個の運動制御は不可能です。ポイントは砥粒一個をどうやったら自在に運動制御できるかでした。

 そんな折り、ある研究会に上司の代理で出席しました。そこでたまたま増原宏先生(大阪大学教授)のご講演「レーザーマイクロ化学:方法論開発と新現象探索」を聴講しました。水中のラテックス粒子が光の力で移動する映像を見たとき、「これだ!」と思いました。興奮気味に増原先生にその構想をお話しすると、「装置なんてお金はかからないし、面白そうだからやってみたらいいよ。」とのこと。若者の無謀とも思えるアイデアに対して、躊躇なく背中を押してくれました。いま思うと、相談相手が増原先生で本当によかったと思います。次の日、入学して間もない博士課程の学生に「レーザトラッピングの研究を一緒にやってみないか」と誘ってみました。その学生は一晩考えた末「リスクが高すぎます」と断ってきました。その学生は、その後テーマに苦労しながら大学院生活を続けたのでした。研究者が新領域に踏み込もうとするとき、わからないことが多く、勝算が半々なんてことがあります。そうなると、一歩踏み出す英断の決め手は、研究能力ではなく、直感や性格、気質、熱意といったおよそ科学とはかけ離れたものによるところが大きいと思います。やはり、研究は人の営みなのです。

 まもなく東海地方の大学に移った私は、このレーザトラッピングの無謀な計画を科研費に申請し、大幅減額ながらも何故か採択されたのでした。昔は若者に失敗させて育ててやろうという余裕があったのかも知れません。案の定、喜びもつかの間、予算が足らず実験装置の製作では苦労しました。必要なレーザ発振器は、営業に泣いていただき何とか購入することができました。しかし「市販の対物レンズは、加工に使用するほどの高出力レーザを入射したら一発で壊れる」とレンズメーカに脅かされました。困り果てていると、「壊れるという話は、自分で確かめたのかい?」と初対面の技術者に訊かれ、「他人の言うことを鵜呑みにして一歩も進まないのは如何なものか」と言われたのです。その方は休日に車を飛ばして東京から来てくれて、一緒に実験室で対物レンズの耐久試験までしてくれました。光軸さえ合っていれば問題ないことがわかり、不思議な縁でレーザトラッピング装置は完成まで漕ぎ着けることができました。

 配属されてきた卒研生(学部4年)に「レーザトラッピングの研究をしてみないか」と呼びかけてみると、すぐさま「面白そうですね」と一人の学生から声が挙がりました。早速、そのS君と実験を始めたのですが、初っぱなからアシュキン氏の論文にはない不思議な現象がわんさか出てきました。その多くは、研究目的に対して”不都合な事実”ばかりで、折角のアイデアを否定する現象ばかりでした。「何でこんな事が起きるのだろうか?」本来の研究目的はとりあえず横に置いて、誰も見たことのない摩訶不思議な現象の謎解きに夢中になっていきました。まるで深海の生物を探るような、遠い小惑星の地表を調べるようなワクワクする気分だったように思います。そのうち、一つ謎が解ける毎に「なるほどそうだったのか。凄いね!」と自然に対する畏敬の念を抱くようになりました。次の瞬間には「だったら、これまで誰もできなかったこんな事ができるのではないか?」とワクワクするような発明にこころ奪われていました。S君は実験に没頭し、真夜中にも関わらず「できました!」と興奮して電話して来るほどでした。上の写真は世界で初めて空中に直径(8/1000)mmのガラスビーズを持ち上げて、220個からなる三角錐を組み立てているところです。それまで、床に置かれた微小なガラスビーズは表面張力が邪魔して光の力では持ち上げることができないとされていました。しかし、実験中のある偶然がきっかけとなりそれが可能になったのでした。そのうち、多くの学生が面白がって実験に参加するようになり、S君は日本学術振興会から奨学金をもらいながら立派に学位を取得していきました。S君の学位はレーザトラッピングの新たな現象解明と可能性の実証に対して学術的な価値が認められ授与されました。学位審査会では先生方から賞賛の声が挙がり指導教官として喜びを感じた瞬間でした。

 博士を輩出した研究でしたが、最初の無謀なアイデアである”加工への応用”は、未だに実現されていません。しかし、この無謀な試みがあったが故に、全く別の世界を拓くことができました。人間の考える事なんてちっぽけなものです。ただ自然の摂理に身を委ね、自然から教えを請う覚悟さえあれば、新たな科学研究の扉は必ず開かれることを学んだような気がしています。アシュキン氏とは直接お会いしたことなどありませんが、お陰でレーザトラッピングという技術と出会い、若い内に研究者としての大事なことを学ばせてもらいました。彼は2020年に亡くなられましたが、報道によると死ぬまで太陽光エネルギーの研究に夢中だそうです。学ぶべきところの多い研究者でした。ノーベル物理学賞の受賞を心からお祝いするとともにご冥福をお祈り申し上げます。




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