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視点Point of View

恩師 K先生 〜研究指導2〜

 
 毎週1回開かれる成果報告会では,K先生からいくつかの質問が飛んだ.当初はその質問の意図が全く分からなかった.「何でこんな分かり切った常識的なことを質問されるのだろうか?」私なりに一生懸命その質問に答えたつもりでいると,「それはなぜ?」とタマネギの皮をむくがごとく質問される.そのうち,答えに詰まってしまう.自分でもなぜだろう?と思うようになる.その答えを知りたくて,また実験をする.するとフッとした瞬間に現象の本質を垣間見ることがある.常識を疑い,自分自身で納得するまで深く徹底的に解明するというK先生の研究姿勢にあらためて感服し鳥肌が立つ思いがした.K先生の質問は”タマネギ”ではなく,”美味しい実”を取り出すための皮むき作業であった.

 工学と言えども,加工現象は100%自然法則で占められている.その自然と向き合って現象を解明していく時,人間の思いつくことなどちっぽけに思えてくる.どうして?と真理を追求していくうちに,自分が赤裸になっていくのを感じる.今まで何度試みても失敗し,ガンとして冷淡だった自然がこれまでにない姿をちょっとだけ見せる時がある.これに気づいた瞬間,”そうだったのか!”という衝撃が頭の中を駆けめぐる.このとき,自然はこの上ない優しさで研究する者を包んでくれる.そんな経験をしていく内に,「研究は人の心を浄化する」と思うようになった.これは先生から教わった,忘れてはならない大切なことであろう.また研究者として教育を受ける最初に,体験すべきことであるように思う.そして,K先生はそれを教えられる数少ない研究者であったに違いない.

 石英ガラスの穴あけというテーマは,私への研究教育テーマとしては最高のものであった.いま思えば,工業的な利用価値を考えない研究を企業経験の豊富な先生がよく許可して下さったと思う.成果をまとめて学会で初めて発表した時,「何の役に立つのかね?」「高いレーザ装置で穴あけしなくてもドリルを使えば安上がりではないか?」と学会の重鎮に質問された.旨く答えられずに初の学会発表は撃沈.その後,この悔しさをバネに「機械加工ではできないこととは何か」という視点から研究を観るようになった.そう言えば,学会会場で昔見かけた光景だが、成果発表を終えた企業の若手が質疑の際に会場から有益な助言を頂戴した.しかしその若手がそれを受け流すような態度をとった瞬間,会場の後方から上司らしき方が「バカ者!」とその若手を叱りつけた.しつけとともに専門性を磨き上げていくという慣習が昔の学会にはあったのであろうか.今では考えられない光景だが,時々懐かしく思い出す.

 メカニズムの検証中,機械加工では不可能な3次元穴あけ加工の可能性を見出した.少々自信をもって望んだ2回目の学会発表では,今度も「面白い研究だけど,何の役に立つのか?」と言われた.当時は応用がなく役に立たないものとされ,評価は0に等しかった.それから30年経って,新たなレーザ発振器が開発されると透明材料の内部加工が容易になった.すると光学部品への応用が話題となり,盛んに雑誌の誌面を飾るようになった.いま思えば開発時期が30年早すぎたのだが,自分しか知らない新しい知見が実験室からいくつも見い出せることにすっかり魅了されてしまった.ある時などは,加工穴の周りに黒い物質が付着していることが気になった.その物質を分析してみたところ,加工時に使用した溶液中の金属イオンを含む酸化物であった.通常ならば,この後は「それではどうやってこれを解決するか?」ということになるのだが,そんなことよりも酸化物が付着することにワクワクした.なぜならば,もしも溶液中に還元剤を投入してレーザを照射したならばメッキができるのだろうかと思ったからである.早速,後輩のT君と実験をすることにした.T君の熱心な実験によって,これを実証することに成功した.K先生の指導で次々と新しいことが研究室から発信された.本来無趣味の私だが,K先生のもとでやっと趣味と呼べるものを見つけることができたのは嬉しかった.しかし,趣味というのは楽しいことばかりではないようである.研究室ではいつも「今度の学会はどうする?」とK先生に優しい笑顔で質問された.”先日,発表したばかりでネタがない・・・”と内心思っても,先生の顔を見ていると,「発表します」と意に反して言葉が出てしまう.これはK先生の”魔力”である.その後,徹夜で実験装置に向かう日々が続き,いつも崖っぷちでスリリングな体験をした.ただ,趣味は一方で日々を充実したものにしてくれることも感じていた.

 修士も修了に近づき,いよいよ修士論文をまとめる段になって,私は工業的な利用価値の無さに考え倦ねていた.その時,K先生はさりげなくメンデルの話をして下さった.貧しく修道僧の道を選んだメンデルだが,科学することを諦めず8年間の研究でついに遺伝法則を見出した.しかし,当時は何の役に立つのか周りは理解できず,また,修道僧が何をいうかという学界の批判的な見方もあって,彼の論文は34年間も埃に埋もれていたそうである.現在,メンデルの法則は遺伝学上,第一級の発見として高く評価されているのはご承知のとおりである.K先生はお話の最後に「新しいことに挑戦し,誰にも知られていない普遍の真理を見出すことこそ,研究にとって大切なことではないだろうか」と言われた.メンデルとは比較にならず,いささか恐縮したが,先生の言われたことは深く心にしみた.

参考:
   


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