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視点Point of View

恩師 K先生 〜教え〜

 
 K先生は国の研究所で世界的にも優れた研究成果を出された.その要因の一つには多くの人がK先生の下で研究に専念されたことも挙げることができよう.K先生は人の心を動かし組織をまとめる能力にも優れていたのである.幸か不幸か,そのためK先生は部長に抜擢されたのである.しかし,根っからの研究者であったK先生は研究への情熱が断ち切れず、また当時T社再建に燃えた土光氏に口説かれたことも相まって,国の研究所を辞めてT社の生産技術研究所長になった.その後,60才を機に引退し6年間を大学教授として過ごされた.偶然にも私が学部2年〜修士修了までの期間がこれと重複している.卒論を指導いただいている時、雑談の中で「どうして先生は大学に来られたのですか」と訊いたことがある.するとK先生はにっこりされて「君と会うためだよ」と冗談で返された.

 大概,卒業すれば恩師との関係は薄らいでいくものである.しかしK先生は何かと面倒をみて下さった.私が研究所の助手になってまもなくK先生は現役を引退された。そのころ私の職場の一般公開にお招きした.当時は何かと悩みの多い時期であったように思う.お会いすると私の腕をぐっと掴んで「元気は出たかい?」とにっこりされた.「昼食でも一緒に食べようか」と誘って頂き,いろいろ話を聞いていただいた.未熟な自分が恥ずかしい限りであるが,そんな未熟さを許し,いま何をすべきかさりげなく諭して下さった.

 その後,学位を取得すると私は縁あって東海地方の大学に赴任した.そのとき,周囲の先生と研究の進め方があまりに違うことに戸惑った.周囲からは学者として多くの知識を習得し,その中で体系化し某か構築していくものだと言われたような気がしたのである.「果たしてそれで自分は良いのだろうか」と思いつつ価値観がぶれて不安になってしまった.東京出張の際に,K先生にお願いして学士会館のレストランで昼食をご一緒させていただいた.話をするとK先生はテーブルに置いてある三角ナプキンを一枚抜き取り,そこに「V.S.O.P」と書かれた.そして「Vは Vitality, SはSpeciality, OはOriginality, そしてPはPersonality.独創研究にはこれらが必要なんだよ」とさりげなくおっしゃった.これを聞いた途端,目の前がパッと晴れた気がした.今でもこのナプキンは大切にしている.

 ある時,米国で開かれた国際会議でK先生とご一緒した.開催中にソ連で事変が起こり世界に緊張が走った.会場となった大学の広大なキャンパスを歩きながら,K先生は普段されることのない戦争体験を語られた.帝大を卒業し陸軍の技術将校になっていた先生は軍需工場で米軍の奇襲攻撃を受けた.米兵がヘリコプターで地上近くまで降りてきて,機関銃を打ちまくった.「米兵の狂気に満ちた顔と,目の前で血を流して死んでいった女学生を今も忘れることができない」とおっしゃった.加えて「戦争はどんな理由を付けたって正当化できない」とおっしゃったことが強く印象に残った.
 


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